倉庫

ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

生活の記録って書き忘れたりしません?

 僕は今までの人生の中で生活の記録を録るということをほとんどして来ませんでした。

 実を言うと日記帳というスタイルのノートは非常に好きなんです。1日1記事ぐらいは何かを書き込めるあの機能美溢れるデザインといい、個性を演出するために各々の日記帳メーカーが独自の工夫を凝らして用意しているちょっとした工夫の数々といいたまらんわけです。

 そんなわけで年に1回日記を買ってくるわけですが、結局のところその「お気に入りの日記帳」は白紙のまま12月を迎えて、また新しい年の日記を買ったりしてしまう。360回以上何かを書くチャンスが与えられているから絶対に2割ぐらいはなんか書けるだろうと思ってるわけです。買った時には。けどどうでしょう、年の終わり頃に手帳を見返すとまあ白いこと。そんな生活を10年ぐらい続けて来てとうとう気づかない方が幸せだった疑問に気づいてしまうわけです。なぜ記録を取らないのかと。

 日常生活が周期的すぎるから?「きょうは なにもない へいわないちにちでした」と日記に書くのを恐れているのか?おそらくそれも一因です。思うになにかドラマティックな事が起こらない限り日記を書いてはいけないのだと考えている節が少なからずあるのです。後から読み返した自分がエンターテインメントとして楽しめる(たとえ苦悩の痕跡があったとしても)ものを書いておかなければならないという根性がどこかにあるのです。

 あるいは何かが起こっても書くのを忘れてしまうから?これはかなりあります。昔っから忘れっぽいんです僕は。それが良い方に働く事も悪い方に働く事もある……んですが、残念ながらイヤな思い出はかなりの間忘れないんですこれが。かなしいなあ。

 でも本当は周期的な日常の中にもあるはずなんです。予想していた決まり切った出来事から少しだけ離れた何かが。そういうものを忘れないようにするための取り組みをすれば、僕の日記帳は多分3分の1ぐらいは埋まるのかも。何かが起こる度にスマホにメモを取ればいいのか、あるいは何かを買ったりした時に自動的に記録されるようなものを探してきたり書いたりすれば良いのか(ネットで買い物をすると購入履歴として記録に残りますけど)。模索は尽きません。