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ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

twitterをブログのネタ帳がわりに使えるのか?という話

 今回はtwitterをブログのネタ帳がわりに使えるのか?という話です。ちなみにこの話は下書きとして4年眠っていたものを掘り返そうとしています。長らくブログ更新をせずにいるとこういう遺産がそこかしこから「お、今度こそ出番か」と顔を出してくるわけですね。こいつがとりあえず記事を書こうと下書きページを開くと目を爛々と輝かせて此方を凝視してくるわけです。「ここにいるぞ」と。
 ここ数回は上手いことスルーして記事を書いていましたが、今回とうとう観念してこいつを再編集のうえ公開してみようと思います。せっかくなので、当時書いていた内容を自己批評してみますね。

 さて。普段日々の生活の中で掻き消えてしまってもいいような事柄を叩きつけて流れるに任せているtwitterですが、様々な制約があるのは周知の事実でしょう。この制約を利用して上手いこと思考を要約してメモっておくことは出来ないだろうか、と今回考えたわけです。というのも普段ブログのアイディアをまとめている時に書き留めている文は断片的なものが多く、字数を数えると140字に満たないものがかなりある事が解ったのです。これひょっとしてそのままtwitterに漂流させられるんじゃないか?
もしかしたら、twitterに公開することでブログとして昇華するための推進力を他の人からもらえたりするんじゃないか?これはひょっとしたらいい考えかもしれませんね。近いうちにハッシュタグか何か付けて実験してみてもいいかもしれません。

 ・・・はい、ここまでが過去の自分が書いていた下書きです。ここから4年経って僕は何を知り得たのか。極めて簡単な話でした。
 まずひとつ。「簡略化したテクストから本来考えていた内容を引き出すことはできない」。
 当時の僕は文を書くにあたって持っていた自身の思考のフレームワークは可逆的であると考えていたようです。つまり要約された140字以内の文章から本来想定していたものを再生可能であると考えていた節が伺えます。しかしながら、僕の考えは悉く外れていました。なぜか?

 これはあくまで僕の中での話ですが、たとえ140字内に収まるネタであったとしても、それが「ツイート」ボタンを押すという行為を挟むことによってひとつのまとまった形を形成してしまっていたことが分かったのです。文を書く中で「衆目に晒される」ことを無意識のうちにでも自覚した瞬間に、140字未満のそれすらひとつのブログの記事と同等に解釈してしまったのかもしれません。つまり記事としてまとまるようにネタそのものを編集してしまっていたのです。*1 これによって、時間が出来てからいざツイートをもとに記事を構成しようとしても、元の140字をそれほど越えないものばかりが出来上がってしまいました。そしてこの事はつづく二つめの理由も誘発します。
 「全てのブログが再編集になってしまう」。これが二つめの理由でした。よく考えれば当たり前の話です。140字で収まるように書いてしまったものは既にひとつの140字縛りブログとしてまとまってしまった文章なわけで、これを拡張しようとすればそれは全て再編集の産物になってしまうことになります。4年前〜つい最近までの僕は再編集に対して否定的でした。故にツイートをもとに記事を書くことを選ばなかったのです。

 かくしてツイッターにネタを書く戦略は失敗に終わりました。同時に「twitterマイクロブログサービスなのであってSNSではない」*2 という米twitter社のCEOの発言を(個人的に)裏付けることになっていたわけです。

 最近ではブログに書こうと思っていた事柄は全てgoogle keepだとかonenoteだとかに書いています。「まとまらない」って想像以上に大切なことなんですね。

*1:連続ツイートも例に漏れません。要旨の切り取りを避けるために文章を編集する必要があるのですから

*2:https://www.fastcompany.com/3063296/jack-dorsey-on-the-new-twitter-were-not-a-social-network-as-people-th