倉庫

ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

ラストオブ駄文イン2017

節目が近づいてますね。今年もあっという間でした。多分今年は3カ月ぐらいで終わっちゃったんじゃないでしょうか。

年々時間が経つ速度が早くなってきて「そのうち1年が2ミリ秒ぐらいで過ぎちゃうんじゃないのこれ」と物理法則に対する仄かな疑義を抱きながら過ごす日々です。そんなんなったらバターになっちまうぞ人類。

しかしこの「加齢と共に時間が短くなる感覚」って世界共通らしいですが、一体なぜこういう感覚が沸き起こるんでしょうね?若い頃に比べて体力が落ちたりして生活の速度が低減するようなことがあるにしても、ちょっと遅くなる速度が速すぎる気がします。遅かったり速かったり忙しいなおい。

こんな現象が起こるのも、思うに子供に比べて環境の変化が少ない代わりに細かい目標が無数にあるからからでしょうか?無いわけではないかも。社会に出ればこまごまとした締め切りに追われ続ける代わりに大勢は早々変化しない生活を送ることが多くなりがちで、そういう締め切りたちが古代ローマファランクスよろしく隊列を組んで「あいつを再起不能にしてやれ」ぐらいの勢いで突っ込んでくるのを撃ったり斬ったりしてる最中に1年が終わってしまうし。

子供の頃はそれはもう伸びやかだったもんです。締め切りたちも数が圧倒的に少ないし、そいつらを倒すのも簡単だし、奴らの文明もまだ発達してないからバラバラに攻めてくるだけだし。たまに徒党を組んできますけど。夏休みとか。


もしかしたら人間が社会性を得ると同時に締め切りたちの知能も発達していく可能性が・・・!?



アホな事を言っててもしょうがないですね。



話をちょっと真面目な方向に戻すと、さっきから言っているような「細かいけど侮れない締め切りに追われ続ける」ことによって、日付の概念が単なる数字以外の意味を持ち始めるところから時間感覚の変質が始まるんではないかしらんとハッと気付いたりしました。昔体育教師に「マラソンを完走するコツは細かい目標を大量に立てる事だ」なんて教わりました。曰く「あそこまで行けたら大丈夫を繰り返していればいつかゴールに着く」そうですが、今回の例なんかまさにそれですよね。

とまあ年の瀬の今になってこんなような事をふと考えてみたりしているわけです。まあこんなしょうもない事年の瀬の暇な時期にしか考えないだろうからね。
でもいいんです。年の瀬なんてのは1年の振り返りと称してろくでもない事を考えたりやってみたりして結局無為だったぐらいが丁度いい。

そんなわけで来年も締め切り軍を追い返したりしょうもない事を堂々と書いたりして過ごそうと考えてます。今年中に読んだ本*1の振り返りもやりたいなあ。

*1:漫画中心だけど