倉庫

ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

放置してたはてなブログがいつのまにかすごい進化してた

 結構放置してたはてなブログがいつのまにかすごい進化してました。最後に確認したのはてなブログproが始まった頃合いだったはずなんで、1年くらい放置してたことになるんだろうかこれは。あの頃は「有料化するには作りが甘すぎるんではないか」と考えていたものですが、今ならカンパするぐらいの気分で有料化するのもアリなんではないかなあと思う程度には出来上がってきたのではないでしょうか。いつの間にか価格も1年コースなら630円/月くらいになってるみたいだし。さすがに980円はこの手のサービスとしてはお高いよなあ。

 それにしてもはてなブログリリース当初は「最低限の機能だけを実装したシンプルなブログサービスにしたい」と説明されていましたが、なんだかんだで他のサービスでもくっついてるような細かい機能が結構実装されているようで驚きました。個人的には開始当初のような「あの機能もこの機能もないけど書く側で頑張ってフォローすればいいや」みたいな利用者が努力する方針のサービスの方が面白かったなあ。とはいえ「面白かった」だけであって「便利でない」のは確かなので、現状のような状態になるのもそれはそれで自然な流れですよね。はてなブログの利用者としてはブログ書きたいだけなのにそんな苦労は要らんって人の方が圧倒的に多いだろうし。

はてなスターを叩き付ける

はてなスターが案外面白いです。

http://s.hatena.ne.jp/

 一口に言ってしまえばはてな版「+1」や「いいね!」です。はてなスターの存在はサービスが始まった頃から知っていたけれど、当時はまだ「いいね!」だの「+1」だのといったしくみがまだ一般的ではなかった頃だったので、先行していたはてなブックマークと機能が被っているように感じていました(記憶が確かならば実際に「はてブで十分だろ」みたいな意見があったはず)。

 しかし、こうしてブログの記事にサインを付ける機能が浸透した今改めてはてなスターというサービスを顧みると、なにやらはてなスターというサービスが面白いような気がしてきています。

 はてなスターは競合する他のサービスと違って複数のスターを付けることが出来ます。たまに出会う奇跡のような記事に対してたったひとつのブクマだの「いいね!」だのでは飽き足らない時がはてなスターの出番です。これが結構面白い。

 凄い記事に出会えた喜びとか高揚感のような物を指先に込めて4つも5つもスターを叩き付けることで、自分がいかに素晴らしい記事に出会ったかということを視覚的に相手に知らせることが出来るというわけです。これはやったことがある人間にしか解らない楽しみかも……「こいつはすごい」と思える記事に出会ったら一遍試してみて下さい。

しんぷるいずべすと?

いくつかの記事をはてなダイアリーから転載してきました。転載元のダイアリーはもともと削除する予定だったので、それなりによく書けたかなと思う記事のみをピックアップしてきた形になります。自分の使い方でははてな記法をフルに使っているわけではないので特にデザインが崩壊するような事態にはならなかったようですね。

そもそもデザインを強く意識してなにかを書き残すような事はあまりありません。僕は箇条書きや段落を付けるのに便利な機能があればよいなあと思う程度なので、あまりに華美なデザインは要求していなかったという土台もあったのだと思います。この程度で良かったのです。何でもかんでもゴテゴテくっついているブログが多い中、そういったものを引かれたデザインを見せられる事で気がつくシンプルなデザインの良さみたいなものを実感してしまいました。この程度で良かったのです。

ただ、日記のような使い方をするには少々寂しいかも。記事の内容が短くなりがちで画像が多く貼られがちな日記ではこのデザインだと写真が浮いてしまっていまいちよくありませんね。尤もはてなブログ的には「そういうのはtwitterでやって」みたいなところもあるのかも知れませんが。

algoをプレイする

ちょっと前にとある機会があってalgoをプレイしました。
このゲーム、とても奥が深い論理と直感を駆使する知的玩具の一つで、この記事を書くために調べた内容によると学習塾で小・中学生の教育に使われることもあるそうです。流石ピーター・フランクルが考案したゲームだと(笑


「一定のルールで伏せて並べられた相手のカードの数字を推察して全部当てたら勝利」という
きわめて単純なルールの元でプレイできるのに、上級者になると論理・直感に加えて心理戦の要素も出だしてくると云う『考える』ことが好きな人間にはとてもたまらないゲーム……なのですが、どうも知名度が低いのかイマイチ認知されてません。
面白いのになあ……


この記事を見てもし興味を持っていただけたのであれば、algoの公式サイトでルール確認やflashで作られたオンライン版(CPU戦のみ)が楽しめるので、是非一度見に行ってみてください。

心地がいい空間

最近いつも座っている椅子で読書をしていると、ほんのりと本の匂いがただよってくるようになった。
ちょっと前まではお世辞にも本が多いとは言えなかった本棚の脇に置いてあった椅子。読書を習慣づける前までは無味無臭な、単に「一日のなかで作業に使う時間が長い」という理由だけで長時間座っていただけに過ぎない、文字通りただのインテリアだ。
それが読書を始めて本を次々と本棚に差し、あるいは差しきれなかった本を傍らに積み上げるようになってからというもの、ほの甘いような本の匂いが椅子を・また椅子に座っている自分を包み込むようになっていた。

ただそれだけのことがとてもうれしい。
まさしく陶然としてしまうのである。さながら家にいながら書店にいるような・・・・・・自室の次に書店が落ち着く場所である自分にとってはとても幸福な空間が、自分が自室の中で最も長く滞在している場所に広がっているのだ。これがうれしくないわけがない。

単に本を買い集めて所蔵しているだけという簡単なことだけで、それほどまでに心地よい空間が出来上がってしまう。そんな単純だけど率直な自分に軽く呆れつつも、心のどこかでそんな解りやすい自分をほほえましく思ってもいる。もっと早くのうちからこういう暮らしをしとけばよかった。

読書はとても楽しい

2009年の6月あたりから精力的に読書を始めています。
こうして読書生活を始めてみると、記憶の底から呼び出される限りでは
学生時代……それも義務教育の頃はそこそこ本を読む子供だったというのに、
最近になってからは日々の暮らしにかまけて
読書に対する関心が薄れていたということがありありと解ります。


そもそも読書はとても楽しいものです。
小説は自分の想像力からはよほどたどり着けないような素晴らしい世界を見せてくれますし、
自分の論理を構築するうえで基礎的なことになるような教養を与えてもくれます。
ですが、僕自身が感じる「読書の面白さ」は実を言うとこれではありません。


僕にとって、読書をするうえで重視する項目は
重厚な物語を描いた本であったり、ためになるような本であったりではないのです。
重要なのは「文章の向こう側にある作者の意志に触れること」であって、
簡単に言えば「本を通じて作者が言いたかったこと」を読み取る……
これこそが読書の面白さであると感じています。


そういう意味では僕は読書をしながら作者と一方的にコミュニケーションしているとも言えます。
言葉だけ聞くと大分こう……アレな……感じですけど。
少なくとも僕はこうして本を通じて著者が描こうとした著者自身の「言いたいこと」を
感じ取ったりして楽しむような読み方をする人なので、
世にある大抵の本は楽しむ余地があるものだと思っています。


逆を言うと、作者の言いたいことが伝わってこないと感じてしまったりすると
読書がとても苦痛になる事もあります。こうなるともうページをめくるのが辛い。
「楽しい楽しい」と連呼してますけど、それなりに苦痛な時もあるんです実は(笑
でもまあ、他の娯楽も楽しいことばかりではありませんし、
苦痛なことがあってこそ娯楽の楽しさがクローズアップされていくわけですから、
やたらと「楽しい」ことばかりを並べ連ねるのは却って不自然ですよね。


……とまあ時には辛いことも起こりますが、やっぱり読書は楽しくて面白いものです。
とりとめもなく、特に纏まりがあったわけでもないかも知れませんが、
ネットの世界の片隅に載っているような僕の意見が
「読書の何が面白いの?」と疑問に思っている方々への回答になっていればこれ幸い。

新聞を読むメリットってなんだろう?

今回は「新聞のメリットってなによ?」という話です。


知人数人と与太話をしている最中にふと「最近新聞読んでる?」という話になりまして、
その議論になるとたどり着きやすい

「ネットニュースがあるから意識して新聞を見る必要はないだろう。紙の無駄」
という意見に対して新聞擁護派からの反論にいまいち説得力がない

という事柄に対してちょっと考察欲を駆り立てられたので、
えいやっと記事にしてしまうことにしました。
しかし知人同士で会話してるときにこういう話題がでてくると
「ネタゲット」とほくそ笑んでしまうのはブログを書いている人間のサガなのでしょうか。
「ニヤニヤしてどうしたの?」と同席者に突っ込まれてしまいました(笑
この現象、僕だけだったらイヤだなあ・・・・・・


さて、本題に入りましょう。
僕が新聞擁護派になったとして新聞のメリットを挙げるとするならば、

  • 見出し以外の本文も併記されていること
  • 自分本位のアーカイブが可能


以上の2点がそれに該当すると考えています。
ここでは敢えて「ネットニュースは速報性を重視するあまり記事の精度が落ちる」等の比較的耳にしやすい意見に対しては考察を進めません。理由は後述・・・・・・。


見出し以外の本文も併記されていること

 「見出しをざっと眺めて読みたい記事を決める」。これは新聞の読み方として大多数の著名人が推奨している新聞の読み方です。見出しは記事の本文とは違うフォントで記されており、紙面の中から見出しを捜索する際の手掛かりになります。
 さて、ここで考えてみてください。1度でも紙面を見出し探しを中心に読んだことがある人はわかると思いますが、見出しを探していく最中になんとなく本文に目が行って、そこを注意深く読み始めてしまう・・・・・・ということはありませんでしたか?
 「ある」と答えて下さった方は既にこの単元で僕が言おうとしていることを理解しているかも知れません。つまり、見出しを捜索する最中に無意識のうちに本文にも「見る」レベルで目を通しているのです。
 これはニュースサイトにはない体験です。今のニュースサイトはいわゆるダイジェスト方式なので、見出しをずらりと書き並べて読者に好きな記事をクリックしてもらう・・・・・・という方式でニュースを配信しています。ある意味プル型の配信とも言えるでしょう。本文までまとめて1ページに納めているわけではないので、読者側に関心が無ければそのニュースは本文に至るまで目に入ってきません。
 一方、新聞は見出しと本文が1ページに併記されているので、目線の行方は言わば全文検索をかけているようなものになります。
 つまり、見出しを探す作業と目についた単語を探す作業が同時に出来るのです。
 見出しだけを列挙してあるニュースサイトでは時折本当に読みたいニュースを「見出しが悪い」せいで見逃してしまう危険性がついて回るため、ニュース見出しが過剰な表現になることがままあります。
 また、見出しを見る限りでは興味を駆り立てられなかったものの、本文には自分が知りたい情報に対する説明が書いてあったりするケースにも柔軟に対応できないのが現状のニュースサイトの課題とも言えるでしょう。
 これらの問題に対して、新聞は見出しと本文を1ページに集約してあることで全文検索のような読み方が出来ることでニュースサイトに対する優位性があると言えます。
 確かにニュースサイトにも検索機能が実装されているサイトが圧倒的多数ですが、「検索する」という行動がワンクッションを置かせてしまうことで手間がかかる印象を与えがちであること、「ん?」と無意識のうちに目が留まってしまうような単語(つまり検索しようと思うレベルまで意識化されていない単語)を発見できないことで新聞にはまだまだかないません。



自分本位のアーカイブが可能

 新聞は基本的に受け取ってしまえば自分のものです。読みたい記事を読み終えたらさっさと古紙回収に出すもよし、スクラップしておいてあとでまとめて見るもよし、購読数が少なければ数ヶ月単位でまとめておくもよし。全ては自分次第です。
 一方ニュースサイトでは、記事を保管しておく期間を決めるのはニュースサイトの管理者です。重要な情報であってもサイトごとの基準によってばっさり削除されてしまうことも多々あります。このことは後になって特定の情報を整理したり、時系列ごとに情報を追おうとしたときにそれらを阻害してしまいます。
 最近ではウェブ魚拓等々のコンテンツ保存サービスがあるので、自分が意識的に保存しておきたい情報はそう簡単に手放し難くなったとはいうものの、これはあくまで新聞や雑誌のスクラップという概念をWeb上に持ってきただけなので、記事の保存という観点で新聞の優位性を全て奪い取ってしまったということにはなりません。
 本項の優位性に関しては、新聞はニュースサイトに載った記事を全てダウンロードしてきてから、オフライン環境で目を通しているようなものだと表現すれば解りやすいかも知れないですね。全てダウンロードして目を通してからそれを放置しておくかもしれないし、必要な情報だけ回収して後で削除するかも知れない。もしまるごと記事を全て保存しておけば、後になって「このニュース前にも読んだ!どうしてこういう情勢になってるんだっけ」と躓いたときに保存してあった記事を読み直せばよいのです。自分で削除しない限り記事はそこにあるわけですから。



情報の精度を新聞の優位性にしてもよいのか

 新聞の優位性の中でよく「新聞は通常1日2回の刊行なので記事にする際にある程度精密に記述できるから有利」という意見を見かけますが、果たしてその通りでしょうか。今回は新聞擁護派として新聞のメリットを挙げるという形で考察を展開していますが、この件に関しては僕も疑問を抱いています。
 ネットニュース上で取り上げられる「速報」はむしろTVのそれに近いものであり、同じ文章のコンテンツだからと言って新聞と比較するのは筋が違うからです。
 加えて、ネットニュースに限らずWebコンテンツは全般的に記事の追記・編集が容易です。詳報が出次第「○月○日 ○時○分○秒追記」のような解りやすいサインをつけて記事をより高密度・高精度なものへと変質させることが可能なので、この点においてはむしろ新聞よりもネットニュースの方が優位だと言えるでしょう。*1



まとめ:結局新聞はまだまだ必要なの?

 ここまで新聞擁護派として

  • 見出し以外の本文も併記されていること
  • 自分本位のアーカイブが可能


 と2つの点において考察を展開してきましたが、最終的に「これらを踏まえて新聞はまだまだ必要なのか」というところに着眼すると、僕の意見としては「現状ではまだ必要」であると考えています。
 ここで言っておかなければならないのは、今回取り上げた優位性はネットニュース側も覆そうと思えば簡単に覆せてしまうということでしょう。単に「今まで新聞を模したニュース配信サービスが絶対的に少ない」*2というだけの話ですので、これが実現されてしまえば新聞の優位性は大いに覆る事になるはずです。
 ですが、勿論技術的な問題以外の問題*3が長い間培われた「新聞」というメディア形態の中で渦巻いていますので、一朝一夕には新聞というメディアが根絶することはないでしょう。
 とはいえ、直近ではないにしても必ず紙で配信する新聞というメディアが荒廃する機会がやってくるでしょう。その時に今回取り上げたような「新聞の優位性」を維持したサービスがネット上で展開されていることを願って止みません。


僕的には新聞を見ている意義は今回取り上げた優位性以外にはありませんし!



おまけ

 「まとめ」の項を書いている最中にこういうものを発見しました。

新聞紙を止めてKindleに配信すれば、経費が半減するって本当か?

 そう言やあ新聞には折り込み広告が入ってきますよね。求人広告とか。ネットでは広告も出ずに無料であることを要求する人たちが圧倒的多数である以上、現行で新聞紙を配達する事を止めるのは難しそうです。

*1:尤も実際にこうやって記事を補完しているシーンを見かけたことはありませんが・・・・・・

*2:既に産経新聞iPhone/iPod touch向けに紙面を配信していますが

*3:経済的な問題とか。多分こちらの方が大きい