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ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

いつ出会っても変わらないものと読書によって得られるもの話

日常生活の中で、ふと気づくといつ出会っても変わらないようなものごとに出会うことがしばしばあります。好きなアーティストの音楽だったり、精神的活動の傾向だったり、お気に入りの食べ物だったり・・・そういうものを失わなかったことは普通にありうることですし、たとえば地元の街並みのように、変わったところ・変わらなかったところ・変わらなければいけなかったところが混在して今の僕を作っているわけです。もちろん変わりたかったけど変われなかったところだってそう。街に出てイヤホンで昔の曲を聴いたりしていると特にこういうギャップを感じたりします。変わったものの象徴と、変わらないものの象徴が交差するからでしょうか。ひとつの曲としてまとまってしまったものはそれ以上変わることはありませんから、いかなる曲であれどもそういう時代の空気を纏って「しまう」わけです。

ただ、僕にとって面白いのは、読書では同じ現象が起こらないことです。コンテンツの特性としては音楽と同じで、成立した時代の空気を纏ってしまっているはずなんですけどね。これは、読書という体験が僕にとってリアルタイムの出来事であるのかもしれません。現在の感覚とテクストをぶつけ合って、そこから産み落とされるものを「感想」として抱いているのかも。だから今掴み取った感想が数年後(下手したら数ヶ月後)にも同じである保証はありません。そういう一過性・揮発性な感情こそが読書から得られるもののうちで最も大きなものだと思っています。要するに読書は僕にとって一期一会なのです。

今日読んだ本が来年どう見えるかは来年にならないとわからないような「変わりやすい」ことがとても面白いし、折りにつけ聴き直すようなお気に入りの音楽の「変わらない」こともまた面白いですよね。