倉庫

ひたすら考えたことをひたすら書き殴ってひたすら終わる。

ホッピー現象

 僕は日常的な暮らしにおいて、目的を達成するために行ったはずの場所で全く違うことをして帰ってくることが多々あります。例えば「ラーメンが食べたい!」と思い立ってラーメン屋に入ったのに気付いたらホッピー2杯と生姜焼きを頼んで満足して帰ってしまうようなやつです。こういうものを「ホッピー現象」と名付けたくなったので今回のブログの表題とさせていただききました。

 で、これ不思議なことに「どうしてこうなった」とは微塵も思わないんですよね。そんでもって退店語にはラーメンが食べたかった気持ちはすっかり収まって、またしばらくの間日常に問題無く戻れていけます。

 不思議な話です。僕は少なくともラーメンを食べたかったわけで、決して酒を飲みたかったわけではなかった。でもいつも通り空いてるいつもの席に着いたと思ったところで、気付いたら目の前にホッピーが現れてくるわけです。もちろんホッピーが沸いて出てくるわけではないので自分で流れるように頼んでいるから現れてくるわけですが。

 でそれを一口飲んでしまったら最後、もはやラーメンが食べたかったからわざわざ駅から逆方向の店にまで来た目的を忘れてホッピーをむさぼり、明らかにもやしが多い野菜炒めやら脂身が異様に目立つ生姜焼き定食やらを片付けて、なんの不満もない心持ちで会計を済ませて退店していくわけです。下手したらラーメンを食べたかったことすら忘れている日もある。

 どうしてでしょうね?最初に掲げていた目標が達成されるに越したことはないのは間違いないはずですからね。そのために家から遠い店まで足を運んだりといったしなくていい努力をしていることは少なからずありますし。それに脇に逸れてしまったせいで根本的な目標は達成できていないので、しばらく経った後で本来の目標を達成するために同じ場所に再度訪れたりすることもままあります。はっきり言って二度手間です。

 でも最近になって気付いたんですが、こういう無駄ってたのしいんですよね結構。敢えてする手間の喜びみたいなものは常にたのしいものです。むしろ無駄そのものが発生することを不確定要素として期待していることすらあります。そう、無駄は不確定要素を生み出すんです。合理的でない無駄な生活を歩む。流れるままに生きる。だから何が起こるかわからない。それがたのしい。


 そんなこんなで今日も流れるままに生きています。いちばんおもしろいものは予想も出来ないことですよね。